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「わかりやすさ」の罠

「何が言いたいのだかわからない」
そんな言葉をかけられることが、
僕は昔から頻繁にありました。

こちらとしては、頭に浮かんだ言葉をそのまま言っているだけで、
当然自分の中では複雑ではないのですが、
それを人に言うと、「わかりにくい」と一蹴されてしまうのです。

今となっては、自分でも反省して(そもそもこのブログも伝える能力を鍛えるために始めた)、
わかりやすく伝える努力を適宜するようにはなりましたが、
小さい頃は顔では笑ってごまかしながらも、
内心イラッとしていたことをよく覚えています。

こっちが放った渾身の言葉を、
「わかりにくい」というもはや門前払いの表現で返されてしまうのだから、
悔しいに決まっています。

最近も、似たようなことがありました。
流石にイラッとはしませんでしたが、
自分の渾身の説明が全く受け入れられず、
全然こちらの論点に相手に合わせてもらえないのです。

相手ももう大人なので、一見「わかっている」ふりをしますが、
多分あれは殆ど何もこちらが言っていることは理解されていませんでした。

上述の通り、こちらが提示しているはずの論点に、
 相手が全く反応してくれないのです。

他人同士のやりとりでも
「もっとわかりやすく言わないとダメだよ」

そんなフィードバックをしあっているビジネスマンなど、
普通によく見かけると思います。

改めて言うことでもないですが、
「わかりやすさ」って大事なんです。

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わかりやすいことは重要

とても同意します。100%同意です。
わかりやすいことは重要です。

伝わらなければ意味がないし、
プレゼンテーションなどは、
「伝える」という一点に集中して、
スライドを作ったり、内容を練ったり、
時には膨大な時間をかけて、「わかりやすさ」の練度を高めます。

「伝える」ということは非常に重要で、
そのためには「わかりやすい」ということが必須であることも、
もはや当たり前の事実と言えるでしょう。

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では、わかりやすいこと全てに耳を傾けていればいいのでしょうか?

答えは、NOです。
世の中には、
・「わかりにくい」けど、「重要」なこと
・「わかりやすい」けど、「重要ではない」こと
の2つも存在しています。

わかりやすいからと言って全て受け入れれば良いわけでもなく、
また、わかりにくいものを安易に遠ざけるのも良いことではありません。

少し、例を見てみましょう。
まずは、「わかりやすいけど、重要ではないこと」の例です。

あくまで僕の主観にはなりますが、
「男女の差別」はまさに良い例だと考えています。

「男女の差別」とは、
例えば、部屋が汚い男の人を見たときに、
「この人は男だから部屋が汚いんだ!」
と解釈したり、

部屋がきれいな女の人を見たときに、
「この人は女だから部屋がきれいなんだ!」
と解釈する。

といったことです。

そんな人を見たり、
または自分でしてしまったことがある人も多いのではないでしょうか?

勿論、男女による何かしらの傾向があるのは認めます。

しかし、上記の場合、
「部屋の綺麗さ」と相関のある変数は、
「男女」だけではないのは、
冷静になれば明白なことだと思います。

なぜなら、部屋のきれいな男性も、部屋のきたない女性も、
両方とも一定数存在するからです。

ではなぜ、上記のような解釈が起きてしまうか。
原因は、「男女の違いがめちゃくちゃわかりやすい」
からです。

違いがわかりやすいがゆえに、
物事の解釈に都合よく使われやすいのです。

少し抽象的な表現にはなりますが、
部屋の汚さ/きれいさ、と相関の大きそうな変数は、
例えば几帳面さ、忍耐強さ、自己管理力の高さ、
などいろいろあります。

それらは決して男女の問題”だけ”ではありません。

しかし、性格的な要素は極めてわかりにくいため、
もっとわかりやすくはっきりとした「男女」という指標が、
あまり関係ないはずのところにうっかり出現しまうのです。

こういった、
わかりやすさに流された誤解
は他にも数多くあるように思います。

「学歴」も良い例でしょう。
大卒者のほぼ全員が共通の指標の上で、
受験の競争を経験しているおかげで、
「偏差値70」の凄さは大卒者ならみな理解できます。

その一方で、偏差値は50だけど、
プログラミングの才能は超一流、
みたいな人は、
そうであることを積極的に確かめにいかなければ
永遠にわかりません。

偏差値や学歴が本来あまり関係のない場所でまで
何かしらの判断材料にされがちな原因も、
この「わかりやすさの罠」にあると僕は考えています。

だからこそ、難しいことも、
わかりやすく表現することが大事なのですが、
そこには一つ問題が有ります。

「難しいことをわかりやすくすることは、めちゃくちゃ難しい」
ということです。

例えば、アメリカの有名なベンチャー投資家であるピータティール氏は、
ベンチャーで成功するためのポイントとして、
「多くの人が否定する、真実を探せ」
なんて言ってます。

これも、「ベンチャー成功の秘訣」というめちゃくちゃ複雑でわかりにくいことを、
必死の想いでわかりやすくしたのでしょう。

確かに、一言でスパッとまとまって気持ちいいのは確かです。

しかし、
「多くの人が否定する、真実を探せ」
こんなこと言われても困りませんか?

本質的に複雑なことは、わかりやすくしようとすると、
結局中身のない、わかるようでわからない表現になってしまいます。

「ベンチャー成功の秘訣」
というめちゃくちゃ重要な話題ですが、
世界的に有名な投資家のアドバイスでさえ、
意味不明になってしまいます。

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だから、わかりにくいことだって、安易に切り捨ててはいけません。
むしろ、向き合いましょう。

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こんな図をつくりました。

本質的には、わかりやすさと重要さに、関係はありません。

むしろ、わかりやすい部分は色んな人が集まるので、
わかりにくい部分の謎を解明していくことこそ、
これから重要なこと。

と言えるでしょう。

勿論、前提として、
自分が伝える側であれば、
最大限それをわかりやすくする努力は必要です。

しかし、聞き手の場合は、
偉そうに「わかりやすく言え」などと言わず、
わかりにくい部分にも向き合っていく必要があります。

そうでなければ重要な部分を取り逃がしてしまう可能性があります。

以上、長くなってしまいましたが、
僕のわかりにくい文章も、みんな頑張って解読してくれ。

そんなメッセージの記事でした。