「社会の不確かさが増した」に関する妄想

1.インターネット等により情報取得が楽になり、世の中の不確かさは減った。

2.その情報を元に、楽に安定が得られる職業とか、楽に儲かる事業に人や企業が殺到するようになった。

3.供給の増えたそれらの職や事業が儲からなくなり、より不確かでなければ儲からなくなった。

4.より不確かな状況で戦える人が求められるようになり、若者が「不確かさが増した」と感じるようになった。

・別に不確かさは実は増してない
・ただ、そこ以外で差がつきにくくなっている

d3.jsのd3.maxがなんかおかしい

殆ど愚痴。これのせいで今日半分くらい無駄にした・・・。
とりあえず似たような悩みを持つ人に「君は悪くない」と伝えたいがための記事。検索に引っかかると良いな。

▼直面した問題
・d3.max(array)でarray内の最大値が何故か求まらず、下から5番目くらいの数値を返された。

原因は不明。10桁くらいの数値を30個くらい詰め込んだ配列だったけど、なんか大きすぎたとか?まったくわからない。
(分かる人がおりましたら連絡いただけるとすごく嬉しいです。ついでにランチご馳走させてください。。。orz)

▼解決方法
・普通にjavascriptのMathオブジェクトを使う
例:var max = Math.max.apply(null,datasets);

d3.js、もっとちゃんと勉強しないトナー

成功要因は細かいよくわからにところにある気がする

外から成功者を眺めていると、
・成功者の〜〜のパーソナリティが良かった
・〜〜の分野を選んだからよかった
等、成功要因を分析した結果、基本的により一般化、抽象化された部分が結論として出てきます。

それ自体は何も間違っていないのですが、自分も実行者として同様な成功を目指す場合、そういった一般的な事項に加え、もっと全然違う細かい部分を見る必要性を最近感じます。

例えば、バイラルメディアのビジネスモデルを検証するとわかるのですが、一人あたりの平均友達数や、一人あたりの記事のシェア率は、0.1変わっただけでもかなり結果が違ったりするように、他にもUIの細かい部分の調整によって勝敗が決したり、オペレーションをしっかり整えられたか、とか、しっかり節約したか、とか、そういった伝記ではあまり触れられないような細かい部分こそ、もっと研究するべきなように思います。

”熱意”が成功要因として語られることもよくありますが、何故そうなのかというと、熱意がなければそこまで細かいことに気が回りにくいからなのかもしれません。
あと、大組織で議論すると、どうしてもそういった細かいことは後回しにされてしまいます。細かい部分の調整は、見た目の費用対効果が随分悪く見えるからです。

僕もかなり大雑把な性格なので、そういった細部までこだわることは必要以上に気をつかなわないとなーー

google検索衰退の始まり

”モバイルだとgoogle検索よりfbからのトラフィックの方が大きい”なんて記事も最近どこかで見ましたが、google検索の衰退は間違いなく今進んでいると思います。(google自体はもういろんな先行投資しまくってるしスマホOSも握ってるしまだまだこれからもっとすごくなりそうですが・・・)

そう感じる理由の一つに、”キュレーションメディアの盛り上がり”があります。

キュレーションメディアの登場によって僕達の情報収集経路には大きな変化が起きました。

例えば今度のデートで行く店を探すときであれば、
キュレーションメディア以前:ぐぐりまくる→まとめる,考える→結論を出す(行き先を決める)
キュレーションメディア以降:一回検索する→まとまっててわかりやすい結論が見つかる(行き先が提示される)
という感じで、「ぐぐりまくる」「まとめる」のプロセスがなくなっています。

これは検索行動における様々な分野で成り立っていて、各種ニュースアプリやDeNAのプラットフォームが出来上がれば検索の必要性そのものがなくなりそうなくらいです。

そもそもなぜいままでキュレーションメディアがなかったか(なぜ今なのか)。理由はざっくり以下の3つかと思います。
・Webの情報爆発により、キュレーションするだけで良質な記事が作れるようになり、記事作成単価が落ちた。
・スマホの浸透で、Web全体のトラフィックが激増したことで、Webの市場自体が急拡大した。
・ネット上での単価の高い広告がどの会社でも得られるようになってきた(ネイティブ広告とか)。

あと、最近の”キュレーションメディア”と言われるメディアはあまりキュレーションしてないことも多く、単純に質の高いメディア、ッて感じにもなってきています。

google検索は、webサイトが儲からず、個人の趣味やPR的な使われ方しかしなかった時代に、そのなかからより良い情報を導き出すような手段として発達したように思います。
webサイトが儲かるようになった今、そもそも我々が最初から”どこに行けば良い情報があるか”が見つけられるのであれば検索する必要はありません。

今キュレーションメディア各社はSEO対策に奔走しているようにも見えますが、それよりそもそも検索をすっ飛ばして流入をとりにいくところが勝つんだろうなー

ブログを書くメリット

ブログの使い方はみんなそれぞれでいいのですが、僕もかれこれ4年位不定期に更新してきてやっててよかったと思うことが多いのでご紹介します。

ブログをやっててよかったと思うのはざっくりまとめてしまうと、
・自分を客観視できること
だと思います。

書いたことをあとから見て「ああこんなことこの時考えてたんだな〜」というのもありますが、例えばブログを書く頻度が減っているときに、その原因を分析することで自分にどんな変化が起きているか考察することができます。

例えば、ここ数日「毎日更新しよう!」と思っていたのですが、さっそく昨日更新できず、なんで昨日かけなかったのかなーと考えると、
・仕事が進んでいなくて思考が進歩していない
・本を読んでいないから思考が進歩しない
といったようなことが考えられます。

他にも、あまりにもブログに書いたことが本来やるべきことから遠のいた時に、自分が変な方向に進んでいることとか、そういったことを後から見て確認することができます。

以上がざっくり感じたメリットですが、後他には、
・自己紹介ツールになる
・応援してくれる人が増える
とかがあります。

特に僕はリアルでの対面コミュニケーションが苦手なので、自分が普段何を考えているのか、どういう人間なのかは変に会話するよりこっちのが良いような気がします。

ちなみに今このネタを書いているのも仕事が全然進歩していないからかと思います。頑張ります

極論は思考停止のサイン

IT界隈の人はかなり読んでいるかと思われるけんすうさんのmediumですが、この記事を読んで、本旨とは外れますが思ったことがありました。

何かをするには、何かを捨てないといけない。しかし何かを捨てると判断したときに、0か100かの極論になってしまう…そういうことがよく起こったりします。

僕は”何かを捨てる”ことは躊躇なくできるのですが、よく極論に走って”確かにそうだけどなんか違うな・・・”なんて違和感を持ちながら何かをすることがよくありました。

この記事を読んでハットしましたが、極論を出すのって結構簡単なんですよね。しかもなんか一瞬ワクワクしてしまう。
でも、実際の正解って基本的に右でも左でもなくよくわからない微妙なラインにあって、結局そこに辿り着くまで延々と考え続けないといけないんだと思います。

極論に走り始めたら思考停止。頭の片隅においておこう。

問題は明らかになるまで解決しない2

こちらの続きです。

物事の準備に関して、「しないに越したことはない」みたいな書き方をしましたが、よく考えるとそうでもないなと思いました。

例えば、起業するならとりあえずなんかコード書けなきゃだめだろうと始めたphpは、確かに掲示板ライクなものを作るくらいなら良いけど、解析とかクローリングとかをやるのは若干やりにくさがあったりします。

でも、それが必要だとわかるのは後になってからで、”とりあえずなんか勉強しよう!”だとどうしても学習コストの低いものを選んでしまいます。

それ自体は間違っていないように見えてしまいますが、問題はただ”学習コストが低い”だけで選んだphpが得意になってしまった後です。

その後は、まずほぼ間違いなく何をやるにも”PHPでできるか?”が念頭に来ます。モバイルサービスも、アプリではなくwebで作ってしまいます。なぜならそれのほうが簡単で、せっかく使えるスキルがあるならそれを使いたくなってしまうからです。

冷静に考えればネイティブで作らないと意味ないものも、まぁなんとかなるだろ!みたいな感じでphpにしてしまったりします。

”サンクコスト”なんて言葉もありますが、一度苦労して手に入れた何かを捨てるのはとても大変です。良かれと思って先に準備した何かが、その後の判断において”余計なもの”になることは往々にしてあるような気がします。

無思考な”準備”は害悪にすらなる可能性がある、というお話でした。