10回挑戦して1回当たれば事は前に進む

どっかの記事にも書いたのですが、
・今までの経験の無いことをやる時は、とにかく行動したほうがよい。
ということに関して確信が深まるばかりです。
こういうの、言われれば当たり前な気がしてしまうんですが、ちょっと油断すると”やる前にしっかり考える”病にかかってしまうので、今回は(も?)自分への戒めポストです。

「思考」と「行動」の損益分岐点

 僕と身近で何か一緒に目標ある取り組みをしたことがある人ならわかるかもしれないですが、僕はそもそも何かやる時は真っ先に行動するタイプの人間でした。考えてもしかたねーだろとか思って、とりまやってみっか!!で動く人間でした。大学1年の夏休みを全部海外インターンシップに投げたのも、何も考えちゃいません。

 ところが、起業に関しては、実は創業までアイセックを引退してから1年かかってるし、企画書とかも中身はめちゃくちゃでも結構時間を掛けて作ったりしてました。”真っ先に行動”してた自分はもうどこかに行ってしまってましたね..
で、この変化の原因を考えたんですけど、アイセックの時は、行動を重ねるうちに経験値がたまって、ある瞬間から「その経験値を元に考えてから行動するほうが上手くいく」ようになったんだと思われます。そうやって成功体験を得た僕は、「まず考えたほうがいいじゃん!」とか思い始めたんですね。

 ところが、新しいことをやる時は話が違います。なぜなら思考のベースとする経験がなにもないからです。なのに、考えて上手く行った成功体験が体に残っているせいで今回もイケると勘違いして、「とりあえず考えよう!」となってしまっていたんだと思います。

 そこで考えたんですが、こういった取り組みには「”思考”と”行動”の損益分岐点」のようなものがあって、ある一定の経験を詰むまでは”まず行動”の方が費用対効果が高いけど、経験がたまったある時点からは、”思考”を先にするほうが費用対効果がよくなるのかもしれません。そして”起業”や”web”に関しては自分はまだまだ全然ぺーぺーなんで、行動をするほうが圧倒的に費用対効果がいいんですよね。

一発で当てに行く事の不毛さ

更に、思考の損益分岐点を超えるまでに
・「考えて精度を高めて一発で当てに行く」
・「10回行動して1回当たればよしとする」
のうちの前者を試しても、そもそも原理的に”考えて精度を高める”ことが難しいので結局10回挑戦することになります。これは僕が身を持って体験しました。更に1回で当てに行くと、奇抜で意味不明なことをしなきゃいけないんで、”失敗から学びを得る”という意味でも効果が落ちます。最初から10回を想定できれば、その10回をもれなくダブり無くすればいいんで学びも効率的なのですが、毎回一発で当てに行くと漏れもダブりもありまくる行動をしてしまうような気がします。
だから、初心者のうちから”一発で当てに行く”ということはとてつもなく不毛な事態に陥ります。

とにかく細かい失敗を高速で回す

これはサービス開発以外にも、採用やマネージメント、マーケティング等々あらゆることに当てはまります。ちょっと油断すると”まずしっかり考えよう”とか言い出してしまうんですが、初心者のうちは”10回のうち9回は失敗してもいいからさくっと行動する”を心がけてとにかくさくっとやってみることです。1回に期待すると失敗した時の精神的ダメージも大きくなるので、とにかく細かいことは忘れてやってみることです。
多分だんだん精度が高まるはず。

相変わらず支離滅裂な文章でしたが、”とにかく行動しろ”という自分への戒めでした。自分に失敗を許す、というのを実行するのは想像以上に難しいです。

僕の今までの人生の岐路における重要な意思決定の変遷とかその判断基準とか。

深夜のテンションで今までの自分を振り返ってたら凄い事に気づいた。
僕の過去の意思決定で、その後の人生に重要な影響を及ぼした事が、全部その頃のテレビのヒット番組に影響されている。

・中学入学(2003年)と同時にテニス部に入部
→その頃「テニスの王子様」がアニメ化されてた
→その後高校卒業まで6年間テニスが生活の中心に

・大学受験(2008年)では理系/物理学科を志望
→その頃、ドラマの「ガリレオ」が放映されてた
→その後慶應理工に進学し、4年間在籍

・大学の4年目(2012年)で本格的にプログラムの勉強を初めて、webサービスを作る
→その頃、ドラマ「リッチマン・プアウーマン」が流行ってた
→そのまま生活をそこに全賭けして今に至る

後輩とかから「なんで起業したんすか」と聞かれる度に偉そうにそれっぽい理由を話してたけど、起業にかぎらず僕の意思決定なんて「ドラマの小栗旬がかっこよかったから」程度なのかも。まぁ過去の意思決定もそれでも選んだ先で頑張ったし、それぞれで結果もそれなりに出してるし(慶應では物理と関係ないことを頑張ってしまったが・・・)、ダメだとはあまり思ってない。

ガリレオに影響されて入った物理学科は、入学1ヶ月で”間違えた”って思ったけど、受験勉強は「毎日朝4時に起きて夜10時に寝て、授業以外は殆ど勉強する」生活を半年間完全に毎日続けられたし、結果として11月の模試でのE判定から早慶物理学科受かるくらいの気合はあったし、「やっぱドラマに影響された意思決定はそんなもん」ってより「あそこまで鬼気迫る努力をして得たものを簡単に捨てられるくらい大学の授業がしょぼかった」と都合よく解釈することにした。

逆にやりたいことが見つからない人とか、昔の月9ドラマ見るといいのかも。のだめをカンタービレ見ると無性にピアノが引きたくなるし、ソーシャルネットワーク(ドラマじゃないけど)を見ると無性にコードが書きたくなりますよね。

あと、これ書いてるなかで、「10代で”意思決定”もくそもないだろ。その後いくらでも変えられたじゃん。」みたいなのも一瞬考えたけど、そんなことはないと思う。
・”その選択がその先長い将来にどういう影響を与えたか”
を選択の良し悪しの判断基準にする人って結構居て、そういう人のアドバイスは一貫して「若いんだから失敗してもいいじゃん♪」。
それはなめてますよね。「失敗してもいい」は自分で言うなら好きにしろッて感じだけど、他人に安易に使う言葉じゃない気がする。

”テニスの県大会のダブルスで第一シードをタイブレークの0-5から逆転勝ちした瞬間”(その後準優勝)、”慶應の入試がめっちゃできて試験終了直後に合格を確信した瞬間”、”アイセックでアジアNO1として表彰された瞬間”、ああいう一生レベルで誇りに思える、なによりその瞬間全てが報われたような気分になる、言葉では到底表現することの出来ない「超最高な瞬間」はそれぞれ、失敗なんか死んでもしたくない、何が何でも手に入れたい、そう思えたことだからこそ手に入った物だったし、”若い”とか”その後まだ時間がある”とか全く別の問題で、他の大事な何かを捨ててでもアツくなれる事を選択したからこその産物だったりした。


「その瞬間しかないし、もう一生味わえるかもわからない、最高すぎる感触」をよくわからない将来のために捨てるなんてあほすぎる。

何がイイたいのかよく分からなくなってしまったけど、理由はなんであれ、例えドラマに影響されようが、周りの人にどう言われようが、自分が今やりたいと思ってる事実に忠実になるのは多分大事。結局偉そうな事を言ってしまった。

失敗してもいいことなんか最初から取り組むわけないじゃん。と誰かに言いたいのかもしれない。

視点を変えてみる



中々状況が好転しない日が続き、好転しない以上何かが間違っていることは間違いないのですが、その間違いに関してそもそも何を間違えているのか、疑う問題をかなり大幅に変えました。



主に次の2点です。


1.自分の能力の問題に関して
変更前:「企画/構想力等,起業家的センスの問題」
変更後:「知識/経験等,持っている情報の問題」


2.”良いサービスとは何か”問題に関して
変更前:「サービスの仕組みの問題」
変更後:「サービスのコンテンツの問題」





自分の脳力の問題に関して
 今までずっと、何か自分の企画の仕方が間違っていて、あれこれ試していればどっかのタイミングで当たるはず、と考えていました。ワークショップで聞いた企画法や、リーンスタートアップ系の書籍に載っているノウハウを、付け焼き刃でしかないですが一通り試したような気がします。それでも、何度企画しても、様々な考え方を適用しても、何かしっくりくるものがありませんでした。
 人にアイディアを話してもあまり食いつかれないし、実際にリリースまでこぎつけたプロダクトも飛躍の兆候は全く感じられませんでした。


 で、良くお世話になっている投資家の方に「もう考えても仕方ないしいいから動け」みたいなことは言われていたんです。やってみれば何か見つかるかもしれないし、やってみないとわかんないじゃん!みたいな感じです。僕も「やってみないとわからない」という言葉は都合よく連呼するし、じゃぁやれよって感じなんですけど、でもその一方で「やってみないとわからないことはやりたくない」という強い気持ちもありました。意味不明ですね。


 何故こんなことが起こるかというと、僕が連呼していた「やってみないとわからない」はあくまで他人に説明を求められた時の話で、少なくとも自分の中では何かしらの根拠があるんです。自分ですら「やってみないとわからない!」みたいに思っているわけではないんですよね。
自分の中では完璧だけど、人に理解してもらえない。そんなときに都合よく「やってみないとわからない!」と言っていました。ダメですね。


 ダメだけど、やっぱり”再現性のないこと”ってやっても意味無いという考えはかわりません。”わかんないけどやる!”でちょっと成功したって続かないと思うんですよ。だから”とりあえず行動!”みたいなことはできるだけ避けたいと考えていました。2週間くらい前まで。


 その一方で、事実として「とりあえず行動!」してる奴ってなんかよくわからないけど物事が上手く回り始めてるんですよね。根拠とかも正直ぐちゃぐちゃだけど、それでもよくわからんから行動!みたいな人が一発まぐれとかじゃなくてちゃんと上手く回り始めてるんです。
その様子を見て思ったんですが、そもそも殆ど何の経験もない人にとってそもそも「意図的に良い企画」をすることは”不可能”なことなんじゃないかと考え始めました。なぜなら「結果として良い企画だったもの」を経験したことがないからです。つまり、いつまでたっても自分の企画を評価できないんです。その根拠とする事実をしらないから。
評価もできなければ、つまり良い企画は存在しえません。言葉遊びのようですが、論理的な真実だと思われます。


 じゃぁ投資家に評価してもらえば、、とか他人の評価基準を借りる方法も無くはないですが、自分で経験したことと他人から聞いたことはその強さが全く違います。例えば同じ「犬」という言葉を聞いても柴犬を思い浮かべる人とゴールデンレトリバーを思い浮かべる人がいるように、言葉や文章で伝えられることは実はすごく曖昧です。だから、自分で経験する以上に強い評価基準たる根拠を得られる手段はあまりないんだと思います。


とても長くわかりにくい話になってしまいましたが、つまり僕が良いサービスを生み出せない原因は、企画力云々ではなく、自分の中に”良い企画を評価する基準”が存在しないことだし、なぜそれが存在しないかといえば、経験レベルでの確かな根拠が圧倒的に不足しているからです。


こういった経緯で僕の問題は、企画力等のセンスの問題ではなく、保持している確かな情報の量にあったのだと考え始めました。
情報とか知識とか言うとすぐ”勉強”とか言い始める人もいますが、上記の犬の例えのように、人から教えてもらえることって前提がぶれてしまえば殆ど意味を持ちません。自分で考え、経験した事こそ最も確かな室の高い情報になるはずです。つまりやることはとにかくトライの数を多くしてごくわずかでも成功体験を積み重ねることだと思われます。





”良いサービスとは何か”問題に関して


コンピュータやネットワークを利用したサービスを考える以上、その中心的な論点は常に”仕組み”にあるべきだとずっと考えていました。だから1年前の写真アプリでは、”その写真を得る情報取得経路こそが最も大事”みたいな主張を繰り返しては「いやいみわからんwww」みたいなことを人から言われる毎日を過ごしていました。


それでも僕の目にはfacebookであれgoogleであれ、どう考えても”最も優れている独自な点”は仕組みにしか見当たらなかったし、それ自体は今現在でも正しいと思っています。確かに、他との「差」を生み出すのはその仕組なんです。これは間違いないと思います。


しかしそれ以上に、ユーザーの視点に経ってそれを考えてみると、そもそもそれは全然違いました。というか、すごく失礼で無知な言い方をしてしまうと、仕組みが一見大したことなさそうなものでも流行っているサービスをココ最近でいくつか見かけたので、「仕組み以外の何かがある」という結論に至りました。


そりゃそうなんですよね。何も知らない一般人からしたらgunosyで大事なのは常に「どんな記事がくるか」だし、その評価付けの仕組とかどうでもいいんですよ。つまり仕組みではなくてコンテンツが全てなわけだし、あくまでその”良いコンテンツ”を正しく届けるために仕組みが存在するわけです。仕組みは、あくまでその”良質なコンテンツ”のために存在するに過ぎないんですね。
”ニーズ”と”競争力”は全く別物なのは言ってしまえば簡単ですが、この圧倒的にシンプルな事実が見落とされていることはよくあるような気がします。


良いサービスとは、あくまで「ある特定の人に、特定のタイミングで、最も適切なコンテンツや”出来る事”を届けられる」ことで、その裏側がどう動いてるかはその次の問題だなと思ったんです。今使っているワードプレスで大事なのは、文章を入力してwebで公開できることで、その裏側の複雑な仕組みとかはちゃんと動いてくれていればどうでもいいんです。googleに関しても、検索に対して正しい答えが来れば良くて、ページランクの仕組みとかはどうでもいいんですよね。


とってもシンプルで当たり前のことを言っていますが、企業としての競争力はそこではなく”仕組み”になりがちなため、投資家と話すときとか、他社サービスを研究するときはどうしても仕組みに目が行ってしまうし、僕はこの1年間仕組みだけを考察し続けていたような気がします。



とてもわかりにくい文章になってしまいましたが、この2点の変更に気をつけてガンガン行きます。
この人生をかけた(僕にとって)壮大な実験の答えが見つかるのがとても楽しみです。