「手段」と「目的」について。

最近、後輩とのやりとりや、あとソーシャルメディア上でもこんな感じの話題が上がっているので自分の考えたことをまとめておこうと思います。

今である必要もないのですが、明日ちょうど後輩ちいっぱい話す予定があるので、良いタイミングかなーと。

※明日「先輩のブログ読みましたー★」って言ってくれる後輩がいないかなーとドキドキ楽しみにしているなう


言い訳メイビー

まずいいわけです。やることがいっぱい終わっていないとSNS上にブログを投稿するのにすごい勇気がいる・・・ごめんなさい。。この記事は15分くらいで書いてますはいやるべきことやりますごめんなさいすぐ終わらせます。


「組織におけるコミュニケーション」では特にこれらを区別することがすごく大事

まず、なんでそんなことに拘るの?ってことからです。僕自身、別にこれがわかってるからって成果が出せるわけではないし、これがメチャクチャでもなんか凄いことを成し遂げてしまう人もいるのこともよく知っています。

ただ、組織として足並みを揃えて、個人ではやりきれない大きなことに挑戦するときは、この「議論のレベル感」はすごく大事です。今ゴールの話してるの?手段の話してるの?ってのが揃ってないと、議論のしようがありません。また、終わったあとに振り返るのもすごく難しくなってしまいます。それは、「目的」を明確にしないと良し悪しの定義がなされないからです。

ということで、「手段と目的の違い」がわかってる事自体が優秀さを定義する訳ではないと思いますが、組織でやっていく上では絶対最低限理解できているべき、というのがブログに書くほど伝えたい理由です。


「目的」は絶対達成しなきゃいけないもの

まず基本事項①です。

「目的」ってなあに?というのは、簡単に言うと、それ自体達成されなければ絶対ダメ!まじ意味ない!って感じのものです。あまりに当たり前のことを言ってて申し訳ないのですが、特に学生団体の人たちは、ある企画の際に掲げたゴールに対し、10回くらい「これホントに成し遂げられなきゃだめなの?」ってことを自分に尋ねてください。


「手段」は別にそれ自体はやってもやんなくてもどっちでもいいもの

絶対達成しなければいけない「目的」に対して、そうではないのが「手段」です。とってもシンプル!!

だから、手段として選ばれるものは基本的に、コストの低さ と 期待される効果の高さ だけで選ばれます。そこに感情等々はあまり入るべきではありません。とにかく、絶対達成されなければいけないのは「目的」だけだからです。

多分ここまでのことは誰でもわかることだし、なんでそんな当たり前なこと偉そうに書いてんのこのハゲって感じだと思います。


【重要】「目的」が「手段」になる瞬間

特に学生団体でバリバリ活動していた時に悩んでいたのがこれでした。今日のメイントピックです。

目的と手段がよく混同されてしまうのは、実はその時設定した目的も、もっと大きい目的を達成する手段であるからです。

矢印は手段です。まずはじめは、一番下の現状にいます。で、最終目的地は一番上です。しかし、最初からゴールが見えているわけではないので基本的に物事を達成するためには「中ゴール」を設定します。これは僕の学生団体の人はよくわかっていると思います。これを見ると、「中ゴールの達成が目的」な場合はその間にある矢印が「手段」です。
しかし、もっと上のゴールを「目的」と捉えると、その前の中ゴールもまた「手段」として捉えられます。なぜなら中ゴールの選択肢はいっぱいあって、「絶対それ!」というのがないからです。
それと同様に、この中には記載されていませんが、矢印もまた「小ゴールと小手段」で構成されていることになります。

こんな感じで、その時々によって、手段と目的がどこになるのかは変わります。一番最初に、これは「組織でのコミュニケーションの問題」と書きましたが、つまり組織で議論をするときは、今何を目的と捉えて、何を手段と捉えるべきなのかを全員が明確に意識している必要があります。そもそもその目的がそれより大きい目的を達成するために不適当、であればその目的は手段として良くないので、その目的(小)の方も変更されることがあります。

もう一度書きます。大事なのは、この「レベル感」をしっかりわかっておくことです。


その他

よし!電車の中だけで書き終えた!!

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納豆の正しい食べ方について、ここで1つバシッと言わせてもらいます。

ほぼ毎日納豆食べているのですが、今日、「納豆、しっかりもっと混ぜようぜ!」的な会話を聞いて僕は愕然としてしまったので、ここで1つ言わせてもらいます。

混ぜれば混ぜるほど、「不味くなる」のが納豆です。

今伝えたいのは正直それだけです。よく覚えておいてください。納豆は、混ぜれば混ぜるほどまずくなります。

じゃぁなんで混ぜるのか?それは、食べ物は味だけでなく見た目や食べやすさ、匂い、雰囲気、等々様々な要因に支えられているからです。

混ぜるのは、最低限の「食べやすさ」の担保のためです。

納豆を混ぜるのは、味を美味しくするためではありません。食べやすくするためです。つまり、最低限これで食べれるなってレベルに混ぜたらもうそれ以上はやらないでいいです。僕の経験上、ある程度意識すれば10回転以内にことは収まるはずです。

もう一度言います。納豆を混ぜるのは、食べやすさのためです。

納豆卵のパラドックス。そもそもなぜ僕たちは納豆を食べるのか、という最重要命題。

あと、納豆に卵を混ぜる人も一定数いると思います。これに関しては、僕はプラスとマイナス、両方の側面を持っていると思っています。

卵をいれると、圧倒的に食べやすくなる。そして、見た目も鮮やかに。

卵をいれると納豆が圧倒的に食べやすくなります。ちゅるちゅるなるので。 ご飯との親和性も更に高まり、ふりかけに対してさえ圧倒的な差をつけるのではないかと思われます。僕も結構好きで、よく卵をいれます。今日も、卵を入れてしまいました。

同時に、臭みを消し、矛盾を生む卵。

今ボクが悩んでいるのはこれです。卵はさらに納豆の臭みを消してくれます。納豆が少し苦手な子供に無理やり納豆を食べさせたい親にとっては、このこともプラスとして働くのでしょう。しかし、僕はそんな人に問いかけたい。

「あなたはなぜ納豆を食べるのか?」

僕はそもそも納豆には”臭みを楽しむ”というのが1つの強い特徴であると思っています。栄養なんて他でとればいいです。ただの腐った豆なんだから。

わざわざおいしい豆を腐らせてまで得た”臭み”、それをあえて卵で打ち消しにいくのは、よくよく考えるととてつもなく矛盾しています。それでもなぜか僕達を動かす納豆と卵の組み合わせ(ハーモニー)の正体とは・・・

敬具

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「モチベーション」に関して思うこといくつか。

「ああああああこれやんなきゃいけないのに全然モチベがあがんねぇ!」

誰にでもあることだと思います。最近、モチベーションに関する会話をする機会が多くいろいろ考えたので、考えたことをとりあえず羅列してみようと思います。是非次にあるテーマリストの中から気になるものを選んで読んでみていただけると嬉しいです。


この記事を読んでくれてる時点で、その人は「モチベーション」に満ち溢れているはずです。

 モチベーションに関してまず大事なのが、「やりたい・やりたくない」と「できる・できない」をしっかり区別することです。”モチベーション”とは一般的に前者を指します。
つまり、「モチベーションさえあればなんでもできる」は絶対ウソです。それは、「モチベーション」と「できる・できない」が完全に別物だからです。
この記事を読んでくれている方は、すでにもう「モチベーション」=「”やりたい”という気持ち」はあります。

以下の文章は、”やりたい”という気持ちはあるのに何故か出来ない/実行に移せない事に関して言及していきます。僕の経験上、大半の人にとって重要なのは、これから書くことです。


できないことは誰だってやりたくない。

 すごく当たり前なことです。出来ないことはやりたくありません。でもそれは、本当に本気でやりたくないのではなく、

1、できるなら、”やりたい”
2,でも、やるのが”難しい”
3,だから、”やりたくない”

と、この3つのステップによれば、「”やりたくない”という結論」がでるための決定打は”難しい”です。モチベーションではありません。
だから、難しいこと、初めてのことに挑戦するのは、「やりたいけどヤル気がおきない」状況が発生しやすいです。逆に言えば、「ヤル気がおきない」と言っている人は、もしかしたらただ”難しい”ことを「やる気がでない」と表現しているにすぎない可能性があります。


ひたすら自分に素直になり続ける。自分が何をしたときに楽しいのか考え続ける。

 ”難しいけどやりたいこと”に挑戦する最も良い方法の一つは、「それを超えるほどのモチベーションを感じることしかやらない」ことです。
「難しいからやりたくなーい」なんて感じることは、最初からやらないに尽きます。
 
 それと同じくらい大事なのが、自分が何にモチベーションや楽しさを感じるか正確に把握することです。
実はこれがめちゃくちゃ難しくて、これが学生のうちに見つかる人は「勝ち組」なんて言われることも(稀に)あります。皆さん、自分が”本当に楽しい”と思えることが3大欲求以外にありますか?

 僕はいつの頃からか、自然と「これは楽しい」とか「これは楽しくない」とか自分の中で整理するようになっていました。昔はよく大して楽しくないことをして「あーまじで時間の無駄だった・・・」と後悔することもありましたが、最近は殆どありません。僕が気をつけたことは一つ。「徹底的に自分に素直であり続ける」ことです。違う言い方では「自分が何をした時に楽しいかひたすら自分に問い続ける」なんていうのもあります。

 ちょっと自己啓発セミナーみたいになってきているのが気になりますが、強引に続けます。(自分のキモさに割と今ひいている・・・・


なんで僕は今他のことではなくブログの執筆をしているのか。決定打は”モチベーション”ではありません。

 具体的な事例を考えます。僕は今、「やりたいこと」「やらなければいけない、と理解していること」が幾つかあります。
※ここでの「やらなければいけない、と理解していること」も広義の「やりたいこと」として話を進めます。

この数ある選択肢のなかで、最もどうでもいいものの一つである”ブログの執筆”を選んだのは、
「他のことに比べてブログの執筆が圧倒的に楽」
だからです。それ以外特にありません。それ以外のことも同様にやりたいです。でもちょっと深夜の眠い時間にやるには疲れてしまいます。だから今ボクはブログを書いています。
※「いやいやいや、んなこと言ってねーでさっさと仕事をやれ」と思われた方。大正解です。ゴメンナサイ。


僕は他人の”モチベート”が超絶苦手なので、それ以外で人を動かすことを考えました。

 僕は特にアイセック時代、ある程度他人を動かさなければいけないポジションにいました。でも、人を動かすのはとても苦手でした。僕は人の気持ちを考える能力が一般人に比べて圧倒的に欠落しているようです。人の気持ちを考えるのが、とってもめんどくさい!!!(切実

 これはとても悩みました。そこで僕がある日突然出した結論は、
「やる気がある人、やる気が出た人は絶対に逃さない。やる気がない人はやらなくていい、またやる気がでたら戻っておいで!」
「やる気がある人の行動の障壁になってるものを徹底的に取り除こう!」
でした。

 これは上記の理論(?)に当てはめるなら、
「”やりたい”という気持ちはある」だけど「難しくてやる気がおきない」
という人を確実に救おう。といったものです。

 だから営業ができるはずもない一年生には徹底的に自分の営業に同行させたし、一年生を海外に送り出すときは丸一日かけてトレーニングをしました。
他にも難しそうな所を察知しては手を貸す、ということは現役時代割とやっていました。
※記憶が美化されている可能性あり。


「何をするか」ではなく「何を目指すか」にモチベーションを持てるとすごく良いと思う。

 少々話が変わります。こちらは「モチベーションが長続きしない」「モチベーションの波が荒い」事に関する僕の対処法です。

 よく、人をモチベートしようとして、「〜〜をやれば、〜〜な楽しさがあるよ!!!!」なんていう人がいます。
これ自体が間違っているとは思いません。ただ、これってその〜〜をやったら終わりってことでしょ?あと、もうひとつ言うとその報酬として得られる〜〜も、他の手段で得ることができた場合、なんの意味もありません。
 「〜〜をやれば成長する」というモチベートの仕方が何の意味もなさないのは、「やれば成長する」ことなんて世の中無限にあるからだと思います。

 そうではなくて、ゴールにモチベーションを持つことを僕はお勧めします。ポイントは、
・手段を多様に選べるため、”自分に合ったよりよい方法を選択できる”(”難しいからやる気が起きない”を防止できます。
・単純に期間が長い。
・代替もクソもない。
といった点です。これはとても大事だと思います。ゴールにモチベーションがあれば、その過程で少し嫌なことがあってもすぐ次に動けます。いちいちくよくよすることより、次に進むことの方がゴールに近づくからです。「何かをすること」をモチベーションとした場合、それで嫌なことがあった場合にもうどうすればいいかわからなくなります。


僕のアイセック時代のモチベーションドライバー

だんだん書くのがめんどくさくなって来ました。(笑)
以下の3つが主なモチベーションドライバーだったと思います。もう一年前なので忘れている可能性もあります。

・目標設定の自由度
これがアイセックはすごい。
①学校やインターンとの違いは、とにかく”自分で決められること”。
②他の学生団体との違いは、”大きいリソース”です。
但し専門性の欠如等々により、”できることの小ささ”は少しもどかしい点でもありました。”できることのサイズ”ではインターネットには正直絶対勝てないと思います。

・世界中にいる最高に志の高い仲間
やばいです。最高すぎます。

・顧客からの感謝の声が届きやすい
感謝以外の声が届くこともありましたが、やっぱり自分の活動に意義が感じられるのは重要でした。自分のやったことのおかげで喜んでくれる人がいる、というのはとっても重要です。

そんな感じです。他にもありますが、これらが大きかったように思います。気になる人は連絡ください。


僕の今のモチベーションドライバー

今ボクはwebサービスの開発をしています。(近々公開予定!!!!)
これの楽しさも実はアイセックと似ている点もあります。違う点もありますが。

・できることが大きい
ITを見て感動するのは、”一人”のちからの大きさです。一人でかなり大きな影響を与えることができます。プログラムは一つ作ってしまえば無限に応用可能なので。

・とてつもなく自由
全部自分で決められます。アイセックでは組織に振り回されまくりすぎて大変だったので、今は集団行動を避けています。

・目標・・・?秘密♡


終わりの挨拶(笑)

あー長かったw
読んで下さった方、ありがとうございます。

test投稿です。

こちら、本日作成したブログパーツのテスト投稿です。

「ベトナムに行った時にベトナムについて書いたブログを、次ベトナムに来る人に読んでほしい。」

「ベトナムに行く前に、ベトナムに行ったことある人が何をしていたか知りたい。ベトナムがどんなとこなのかもっと簡単に調べたい。」

そんなことを思ったのがきっかけで考え始めた、現在作成中のwebサービスなのですが、近々クローズド版でオープンできそうです。こちらのブログパーツもクリックすると作成中のサイトに飛びます。(パスワードがないと見れませんが・・・)

逆に、今作ってる方のサイドでは、このブログが、使用されている画像に関連ある情報として、表示される仕組みになっています。

QFRONTのサラダの写真です・・・美味しそう・・・

コチラはタイの写真。よくわからない・・・orz

最近新しく知った、3つの”能力”。

 ここ最近でようやく自分の目指す方向が定まり、関わる人も変わって来ました。アイセックに入会した時、周囲にいた人の大半は”全然違う人達”だったように、また今回りにいる人も、”全然違う人達”です。
 2009年にAIESECに入会したとき、海外に行ったことない人は僕以外いませんでした。周囲で行われる殆ど全てのことが目新しく、今まで全く得られなかった多くの知識と経験を得ました。今は「BOAT student」という,起業したての会社のためにタダでオフィスを貸す取り組みの学生バージョン、として様々な起業家の方々と同じ場所で活動させているのですが、これもまた同様に周囲で見える活動や聞こえてくる会話、実際に話した時の新鮮さが凄まじいです。
 本当に新鮮なことがいろいろあって刺激的な毎日なのですが、特に驚いたのが、様々な”能力”を以って世の中に価値を産む人の存在です。今回はそのことについて書こうと思います。

まず、今まで通って来た場所があまりに画一的過ぎた件。

そもそも小学校〜大学生活の間、僕はあまりに画一的な、異常に閉ざされた場所にいました。出会う人数の制限、進む道のりの少なさ、少数の教師による抑圧的な授業、進学校の数値化できるほどに完全に画一化された価値観、そのフィルターを抜けた人が集まる大学。と、あまりに制限が多い上に、ひとつフィルターをくぐる度にその範囲は狭くなります。(※でも慶応はまだマシかも。入試の選抜方法は大学の中では割と多様性があります。ただSFCが殆ど別大学の用になっているのが残念。)

あと、そもそも世の中で何が”能力”になるのかもよく知らない件。

そんな画一的な世界で育った上に、世の中に出ていないと、そもそも何が”能力”なのかもわからないため、僕は「強みは何か?」と問われると、真面目、頑張る、偏差値が高め、スポーツがそれなり、等、今まで接したエライ人や先生、が評価してくれたものを基準に答え始めます。でも、それが世の中で意味あるものなのかどうかは全然知らないし、そもそもそれを知らないことも知りません。

価値を生む≒収益を挙げる、能力≒収益を挙げるために必要なもの、とします。

「価値ってなぁに?」ってことに関しては学生(特に意識のたk(ry 間でもよく話されますが、ここでは話を簡単にするために、価値を生む≒収益を挙げる、能力≒収益を挙げるために必要なもの、とします。ちなみに僕はこれは殆ど正解だと思っています。
つまり今回紹介したいのは、”収益につなげる様々な方法を持つ人たち” です。

僕にとっての新・3代能力、”絵による表現力”・”イケてる・イケてないの判断力”・”魅せる力”。

どれも、”すごい” です。今までいた学校では、これらに関してなにも教えてくれませんでした。でも、実際の世の中は結構これらの能力にも振り回されていると思います。

 文字では伝えるのが難しいこと、読み取るのに労力を要することも、絵なら1秒で伝えられることがあります。僕が特に感動したのは、ノートやメモを絵でとり、ブログも絵を中心で書くヒトです。ノートって基本的に文字でばーーーーーっっと書く感じですが、それだとあとで見直すのに労力が要ります。それを絵で済ませると、後で見直すのが多分圧倒的に楽になります。 絵でブログを書くと、ブログの内容を読み取るのが一気に視覚的になって5秒で済みます。伝えられる情報量もなかなかあります。図工の成績がずっと悪かった僕にはしばらくできるようになる気がしません。

 「イケてる・イケてない」で結構な額のお金が動く判断をしてしまうヒト(もしかしたら頭の中ではめちゃくちゃ論理的に考えている可能性はありますが・・・)にも出会いました。学生でも”イケてる”という言葉を使う人は多いですが、あれは違います。その判断により価値を生み出したことがないからです。僕が出会ったそのヒトは、価値が産めることを前提にした重要ポジションについている人なので、きっとその判断で本当によりよいものを生みだしているのだと思います。今の僕には絶対できません。「これはイケてるからやろう!」でアクションに移して実績を残すのが本当に凄い。

「魅せる」に関して圧倒的な能力を持つヒトにも出会いました。これは僕のすごく勝手な判断ですが、ぶっちゃけ中身は全然ないようなことをやっていても、世間から期待を受け、多くの人を巻き込むことに成功しています。もしかしたらその中身が本当に凄いのかもしれませんが、あれは「魅せて」ヒトを引きつけています。プログラミングの制御以外にも、情報の流れをコントロールする手法が世の中に存在することを知りました。これも今の僕には到底不可能です。

【おまけ】就活の自己分析が若干不毛なのは、MECEな自己分析が難しいのと、区切り方が無限にありすぎる、からだと思います。

この件を通して思ったのですが、そもそも自己分析をする時に、”能力”のあらゆる側面を検討することってとてもむずかしいです。MECEな自己分析ってできるのでしょうか? あと、見方によって様々な区切り方ができるため(例えば、実績で区切る、脳みその働きで区切る、等)、ダブリを消すのもすごい難しいです。結局同じ事を繰り返し言ってしまいそう・・・

多分まだ知らない能力はいっぱいある気がする。

forsquareとflickrのAPIでの時刻の表示形式

結構簡単なことでここ1ヶ月悩んでいた(悩めば解決することすらわからなかった)ことが解決して感動なうなのでとりあえず書いておきます。

forsquareの APIを叩いて写真を取得していたのですが、「なぜかどこにも写真が投稿された時間がない・・・。まぁいっか諦めよー」って感じでした。

今日ふと改めてAPIをいじくり回していたところ、[‘createdat’]=>int(1349269852)が投稿時間だったようです。

$stamp = 1263953442;
$str = date('Y年m月d日 h:i', $stamp);
print $str;

これで解決でした。こちらを参考に(というかそのまま)しました。

http://www.phppro.jp/qa/2470 

※うーむエンジニアの人ってよくこうゆうブログ書いてるからたまに真似してみるけど、これSNSでつながってる大半の人に意味ないっすよね・・・・